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物理は中心?

執筆者の写真: 物性理論物性理論

コペルニクスとガリレオのどちらが好きですか?中学生のころというのは何かと社会に反抗したい時期で、私の場合は、試験の時に変な解答をする、というしょうもないことをして楽しんでいた。そのひとつが「地動説を最初に提唱したのは誰か?」という問題に、敢えて、「ガリレオ(またはニュートン)」と書いた。当然バツがついて帰ってくるのだが、ここからが勝負。そもそも、何も知らない(けれどもちょっとだけ宇宙に興味があった)中学生にとって、コペルニクスの地動説公表のやり方はセコイ、と思えた。

チ。は現在NHKで毎週土曜夜の11時45分から絶賛放映中だが、地動説を唱える人が次々に処刑されていく。バッテリーズのネタじゃないけど「やりすぎやろ!」って感じ。でも中学生の私にとっては、まあまあ、こんな感じのイメージで、それに比べてコペルニクスが死の直前に天球の回転について出版物を発表したのは、なんか弱いなあ、と思えたのだ(もちろん当時の印象で今はそうは思わない)。一方で、ガリレオは裁判にかけられるところまで粘って、最後は「それでも地球は回っている」と言ったとか言わなかったとか(そんなこと言うてる場合か、というバッテリーズのネタは好き)。

そんな断片的な知識から、ガリレオのほうが潔く偉く思えたので、地動説を最初に提唱したのはコペルニクスではない!そもそも紀元前から地動説は存在していた。そして理論的に地動説を証明したのはニュートンだ、と自説を主張したら、「ちゃんとした試験ではコペルニクスと書くように」という条件で丸にしてもらった。今思うと懐の広い先生だった。

昔、Peeping Lifeというアニメの中に地動説のネタがあった。内容は、コペルニクスともう一人の科学者が、「すごい発見をした」と言い合う。何を発見したかを、いっせいのせ!で言うと二人とも「地動説!」。そのあとは、いつ思いついたか、を主張し罵り合う、という話。Peeping Lifeはナンセンスなコントが淡々と展開されていくのが面白かった。

何千年も前から、人々は星を見ていろんなことを考えてきたんだなあ、と思うと感慨深い。望遠鏡もない時代からよくあれだけ細かい情報を整理したもんだ、と驚いてしまう。ケプラーの3法則なんて天才としか思えない。少し不思議なのは、私の勉強不足かもしれないけれども、アジア人がこうした悠久の歴史の中に名を残していないこと。個人的に大好きな諸葛孔明も星を見ていたようだが、吉凶を占う、という非科学的な(当時どの程度の統計データがあったかは不明)視点から。古文を読んでいても、皆既日食なんてあろうものなら天変地異の前兆と慌てふためいていたようだし。月食が地球の影で、それを見て地球が丸いと主張したアリストテレスとはかなり差がある気がする。

宇宙のことはまだ何もわかっていない、らしい。亀有公園前派出所の両さんは、過剰に集めた自治会費で火星探査船を飛ばすという予算をでっちあげて、中川から、何のために?と聞かれ、「火星に金星人が住んでいるかもしれないじゃないか!」と答えるのだ。「だって宇宙のことはまだ何もわかっていないんだから!」って。火星人じゃなくて金星人が…という発想が妙に受けた。何もわかってないんだから。南米にいるのはスペイン人だしね。

宇宙研究の難しさは、対象物が手の届かないはるか遠くにあるところかな。それと、宇宙の研究をした学生が研究者以外にどんな職業に就けるのか、という現実問題もある。一方で、宇宙は市民科学として一生付き合っていける研究分野だとも思う。昔から思っているのだが、物理という研究分野は、将来もし宇宙人と接触することがあっても共通するテーマを持っている分野のはず。医学なんて、人間と全く違う作りをした宇宙人だと話が合わない可能性が高い。でも物理はもっとユニバーサル。どの星に行ってもニュートンの法則は成り立っているはず。特に宇宙の研究をしている人は得だと思う。物理は大事。



 
 
 

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