変化
- 物性理論
- 11月14日
- 読了時間: 2分
若いころ、自分たちが年を取ったら日本人はどんな言葉を話しているのか、気になったことがある。当時の自分たちにとって、お年寄りはとても奇麗な日本語を話している、という印象があった。一方、自分たちの言葉はとても汚く、このまま年を取ったら、「あのばあさんマブイな」とか「あそこのじいさん事故ったらしい」とか「あいつの孫はやばいぞ」とか「葬式行くのうぜーな」みたいな言葉を話す老人が普通になり、そんな日本は相当やばい国になるのでは、と思ったのだ。
実際、自分がまあまあの年寄りになった今、さすがに、「まぶい」は使わなくなったけど、それ以外は普通に使っている気がする。そして日本も本当にやばい国になった気がする。
言葉の意味も結構なスピードで変わっている。「やばい」なんて悪い意味でしか使っていなかったけど、今では、良い方向に突き抜けているときにも使われている。「大谷のあのホームランやべーよ」みたいに。だから「孫がやばい」は、誉め言葉の可能性もある。
「大丈夫」の使い方も、年取ってきた私には難しい時がある。レジで並んでいたら前のお客さんに店員さんが「メンバーカード作りますか?」って聞いたら、お客さんは「大丈夫です」と答えていた。その時の私は、「大丈夫ってどっちなんだ?」と興味津々で様子を見ていたのだが、店員さんがそれ以上何もしなかったので、「作らなくても大丈夫」と拒否していたんだな、と判断。その後は私も結構利用している。「袋1枚5円になりますがどうしますか?」「大丈夫でーす」。間違ってないよね。
逆に、こんな言葉使う老人いないだろう、というのが「~じゃあ」と言う語尾。本やドラマの中で老人が使っているのだが、どこの地方か知らないけど、少なくとも私の周りには「~じゃあ」と言う老人はいない。昔、じみへん、という漫画の中でおじいちゃん二人が遠くにいるおばあちゃんを見て「ええばあ様じゃあ」と言っていたが、仮想空間の言語だと思う。
時代とともに変化するのは科学も同じ。そのうちどんな問題も計算機を使って厳密に解けるようになるかもしれない。そうすると、平均場(HF)とかCIとかいう言葉は一部のマニアにしか使われなくなるかもしれない。今でも、RPAなんて使われなくなってる手法だと思う。なんでも厳密解がわかる時代なら知りたかったなあ、と思いつつ、私を含め多くの理論家が失業しているだろうな、とも思う。少子化だからちょうど良いか。




コメント