不思議な話
- 物性理論
- 5月8日
- 読了時間: 2分
ビレバンに行ったら写真のようなカプセルトイが売っていた。読めば読むほど笑えてくるのだが、誰だかわからない実在のおじさんたちの証明写真が入っているらしい。誰が買うんだ、これ。しかもシークレットがあるみたいなんだけど、そもそも誰だかわからない人しか入っていないのにシークレットって意味がない気がする。中島らも著の「明るい悩み相談室」の中で、懐の広さでおじさんはおばさんに勝てない、という話がちょくちょく出てくるのだが、誰が見るかわからないカプセルの中に自分の顔写真を入れてしまう無防備さはおっさんの蛮勇かと思ったら、よく見ると女性もいる。懐の広さとは違う話なんだろうな。「あいつ生きていたのか!」とポップには書かれていたけど、そんな出会いの確率は極めて低いだろう。
話は変わるが、今年になって、見るとはなく、聴くともなく、歌番組を垂れ流す機会が増えたんだけど、そこにある法則がある気がした。それは、2人組のグループはハモるのに、4,5人以上の、もはや私には誰が誰だか個人の判別ができないような大人数のグループに限ってみんなが同じ旋律をうたっているのだ。もちろん、2人でも同じ旋律しか歌わないグループもあれば、4,5人でハモり自慢のグループもあるのだが、総じて大人数のグループはハモらない気がする。サンプル数は少ないので揺らぎも大きいけど私の脳内データサイエンス的には、そんな気がする。さて、そうなるとなぜだろう、と考えるのが次のステップで、人間がやらなくてはいけない考察だろう。バッハのインベンションの基本は、右手と左手で違う旋律を奏でる2声なので、2人でハモる、と言うのは基本中の基本なのだと思う。ところが、バッハも平均律になると3声、4声5声と増えていき、弾くのも難しいけど聴いていても素人には判別不能になってくる。そもそも出番の少ないパーツもあるし。そう考えると、2人で2声でハモる、と言うのは聴く側としてもわかりやすくて快適なんだと思う。では大人数になるとなぜ2声ですらなく単旋律なのかと言うと、それはここに書くと悪口に聞こえるかもしれないからやめておこう。
サンプルが増えてくると傾向が見えてくる。そうするとナゼだろう、と考えることになる。さらにそのあと数式化する。そこがサイエンスだと思う。

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