昔は、レポートを紙飛行機にして遠くまで飛んだら中身がない証拠で落としたとか、おいしいカレーの作り方を書いてきた奴に、スパイスが足りないと落としたとか、いい加減な話をよく聞いたものだ。
学生時代の物理実験で、担当の先生が、「みんなのレポートはどれも同じでつまらない」と言うので、考察を裁判ドラマ仕立てにしたり、実験している友達を観察して、理系人間がもてない理由、を書いたら喜んでくれた。理系のレポートがみな同じようになるのは必然なんじゃないだろうか。
大学院時代の指導教官は、同じ内容のレポートを見つけると全員を呼び出し、誰がオリジナルか、を問いただし、オリジナル以外は0点にする人だった。この先生は学生を愛しているんだなあ、と思った。私には、やる気のない学生に説教をする熱意はない。呼び出すのも面倒くさいし。義務教育でもないし、好きなように生きれば良いじゃないか、と。
レポートを丸写しすることは褒められた話ではないが、てにをは、を変えて丸写し感を薄める工夫をするくらいなら、丸写しでも良いのでそこに書いている内容を理解したほうが良い、と言うのが私の立場だ。
最後に、今回の量子力学のレポートについて感じたこと。半分くらいの学生が、ほぼ同じ内容で、しかも間違っていた。こういう場合、昔の指導教官ならどうしたんだろうか。誤答の伝染の方が状況としてはまずいと思うなあ。友達は良く選ばないと社会に出ても苦労すると思う。
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