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執筆者の写真物性理論

よくある話

大学近くのもみじ公園は小さいながらも非日常を味わえる素敵な公園だ。京都には入ったとたんタイムトリップしてしまうような寺社が多くあるが、もみじ公園はそこまではいかない。でも素敵だと思う。そんな公園で見知らぬおばあさんに話しかけられた。はじめは池の鯉が見事だ、などと当たり障りのない会話だったのだが、私の言葉が地元の人とは違うもので、どこから来たのか、何しているのか、と突っ込まれ、大学で物理を教えていると話す羽目に。すると、「宇宙人はいると思いますか?」と思わぬ質問。何と答えたらよいものか思案したけど「宇宙人はいると思いますが、地球にやってきているかどうかはわかりませんね」と返事をするとおばあさんは、「宇宙人はいますよね。私も何回かUFOを呼ぶ人に見せてもらったことがあります」と、こちらの想像を超える発言。「私は見たことないですけどねえ…」とやんわり否定するとこのおばあさん更に「この世界は何次元だと思いますか?」と畳みかけてくる。「私たちが住んでいるのは3次元の世界ですが、どうも理論的には10次元くらいあるみたいですよ」と真面目に答えてみると、「何次元あるかは人によっていうことが違うみたいですね。でも私たちに見えない次元はありますよね」と一見嚙み合っているような返事をしてきた。しかしそのあと「私はその次元を感じるんです。特に沖縄の離島に行くと『ここは明らかに次元が違う』って感じるんです」と大真面目に言ってくるので「そうなんですか…」と返すしかなかった。話をしてみると、この方はこれまでに体の具合が悪くなったことが度々あったようで、人間の中にあるヒーリングの力のようなものを信じるようになったみたい。おそらく、そういう思想を紹介してくれた人に導かれたのだろう。それは問題ないんだけど、その宇宙観は間違っている気がした。


しかしよく考えてみると、極楽浄土とか輪廻とか天国と地獄のような世界観だって、おそらくは人間が作り出したアイデアだろう。それを信じることで人が人らしく生きていけるのなら問題はない。日本では信教の自由も認められている。私が会ったおばあさんもご本人が幸せであるなら、特に私にご自分の思想を押し付けてくるわけでもないので問題はないのだろう。


ただやっぱり違和感を覚えるのは、感覚を直線的に数学とつないでしまうところかな。人が非日常的な何かを感じることはあるけれど、それをこの世界を超えた次元と結びつけるのは間違いだろう。科学に詳しくない人ほど、数学的でない科学を受け入れてしまうのかもしれない。この世のすべてが科学で説明できるわけではないし、人の心なんか分からないから面白いのかもしれないけれど、似非科学を信じるべきではないだろう。特に理学部を卒業した人達なら尚のことだ。


それにしても昔からおばさんによく話しかけられる。学生時代新幹線で隣に座ってたおばさんからアイスクリーム買ってもらったこと、新潟からの学会の帰りにとある国に里帰りした帰りだという人、そのとある国の南にある韓国でも現地のおばさんに話しかけられたし、スウェーデンではイスラエルのおばさんに話しかけられた。これも科学で説明できないなにかなのかな。




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