リストやドビュッシーが好きだったと言われているピアノ、ベヒシュタインのフルコンが山銀県民ホールにある。新しいホールも素晴らしいが、ベヒシュタインの音色は綺麗だった(私は弾けない)。
ピアノの世界にも栄枯盛衰があり、今一番勢力が大きいのはスタインウェイだろう。スタインウェインのフルコンも山銀ホールにはある。スタインウェイの背中を追い続けているのはヤマハ。シゲル・カワイも独特だが良いピアノと高評価だ。リスト仕様で鍵盤の数が多いベーゼンドルファーも一流ピアニストから支持されているが、コンクールで用意されていることは少ない気がする。そう考えると日本の(浜松の?)ピアノは頑張っている。
転じて大学では大学院入試の季節。いまや、大学院に進もう、と決意した時点で勝利のくす玉は割れている気もするが、やはり入試は淘汰の時だ。気が重い。しかし世の中にはいろんな人がいる。私の友人が某美大を受験したときの話。美大といえども英語の試験は必修だったのだが、どうにも彼には何が書いているのかさっぱりわからなかったらしい。そして彼は、解答用紙に受験風景をデッサン風に描いて、最後に、「さようならー」と書いたらしい。残念ながら彼はこの大学には落ちてしまったのだが、芸術家っぽい大胆な行動に感動した。彼は今、プロのイラストレーターとして活躍している。
私が進んだ研究室には、大学院入試(当時は大学院浪人が出るくらい難しかった)に合格したもののドイツ語(当時は必修だった)の単位を落として留年する、と言うのを3回繰り返して最終的に卒業できなった、と言う伝説の先輩がいたらしい。なんでそんなに不器用なんだろう、と思う自分が小賢しい気がしたものだ。
もう少し一芸に秀でた人を大事に育てても良いのではないかなあ、と思う。英語やドイツ語ができるに越したことはないが、そのために大きな才能を開花できないのでは気の毒だ。同じように、教育は平等を重視するあまり、下支えに重点が置かれ、優秀な人をより高みに引き上げようという試みは遠慮がちになっている気がする。みんなが理解できるわけではない講義があった方が面白いだろう。
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